(BTC)が実施している引退名馬けい養展示事業の対象馬で、現在最も長寿なのが新ひだか町の本桐牧場で
けい養されているハギノカムイオーだ。1日で33歳と9カ月になるハギノカムイオーには来年迎える「シンザン
越え」への期待が高まっている。
ハギノカムイオーは昭和54年4月1日に浦河町の荻伏牧場で生まれた。父テスコボーイは種牡馬として日高の
馬産地に多大な貢献を果たしたリーディングサイアー、母イットーは現役時代に高松宮杯など重賞2勝をあげた
名牝。半姉には桜花賞、エリザベス女王杯を制したハギノトップレディという血統背景は「華麗なる一族」と
呼ばれた。その年の10月に開かれた日高軽種馬農協主催の日高馬市で、ハギノカムイオーは従来の
最高落札価格の5千万円を大きく上回る1億8500万円で日隈広吉氏に落札された。落札価格の高さから
競馬関係のみならず、テレビや新聞でも大きく取り上げられ話題を呼んだ。
現役時代は快速を武器に春のグランプリ・宝塚記念を当時の日本レコードタイムで優勝するなど、生涯で
2億3112万円の賞金を獲得した。
昭和59年に種牡馬となったが、期待に応えるような目立った産駒はなく、平成12年に種牡馬を引退。その後は
10年から過ごしている本桐牧場で功労馬として余生を過ごしている。
(>>2
以降に続く)
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=14203
引退名馬紹介サイト-名馬.jp ハギノカムイオー
http://www.meiba.jp/detail.php?sn=1085
の続き)
同牧場に来て以来、ハギノカムイオーの担当をしている小林弘喜さん(54)によると、これまで大きな病気を
したことがないという。今は午前6時に放牧され、午後4時ごろにきゅう舎に戻るという生活サイクル。放牧地では
自分で運動をしているそうで、円を描くように周回することから道ができたように芝が生えてこなくなった。例年
以上の猛暑となった昨夏は、食欲が細って体調が心配されたが、日の出前に放牧し、日が上がってきたら
きゅう舎に戻したり、きゅう舎の中に扇風機を設置して温度を下げるようにするなど、牧場スタッフの努力で
乗り越えた。
人間の年齢で例えると100歳は優に超える年齢。長寿の秘訣について小林さんは「ここの水が合うのかな。
歯が丈夫だから内臓も良い。運動やえさの量を自分で調整するなど自己管理もできている」と分析。現在も
現役時代を知るオールドファンはもちろん、若い人も道内外から訪れているという。国内サラブレッド最長寿
記録については「まだ目も耳も良い。何もなければ今後も長生きできるのでは」と期待している。
競走馬としてはそれなり。種馬としては失敗。
日本の「高馬」の中では素晴らしい成績だぞ。
前年のカムイオーがひどいバテ方してくれた恩恵
天皇賞・秋が1・2年早く距離短縮されていれば・・・
ハギノカムイオーの競走成績はもっといいものになってたかもしれない。
そうだな
14戦【8.0.0.6】が【10.1.1.2】くらいにはなってたかもな
ハギノカムイオーとナグルスキーだけ?
まだまだ若いお( ^ω^)
OVER30S(30歳以上の引退名馬たち)
ハギノカムイオー(’79年生)
キタヤマザクラ(’81年生)
ミホシンザン(’82年生)
ユキノローズ(’82年生)
シリウスシンボリ(’82年生)
ユキノローズってウイポのユリノローズのこと?
つかミホシンザンも生きてるんかい
戦績が極端過ぎるなw
14戦【6.0.0.8】つまり勝つか惨敗かどちらかしか無い。
型(単綺逃げ)にハマれば相当強かったんだろうね
長生きしてほしいな
はるかな北の荒野がみえた
目をつむると
そこには一頭の若馬が立っていた
目をつむると
貧しかった少年時代の日々がみえた
目をつむると
故郷の谷はいつも緑だった
わたしたちは
目をあいて多くの絶望を見てきた
だが、目をつむりさえすれば
いつでも
走る希望を見ることができた
希望
それは一頭の馬のかたちをかりて
百万人の胸のなかから生まれた
約束のことばだ
目をあけて
走る希望を見守ってやろう
目をあけて
ハギノカムイオーという名の夢に賭けてみよう
一九八一年は
賭けるに値する年だ
まだ一度もダービーを勝ったことのない
宿命の血の子ハギノカムイオー
走り始める日から
きっと何かが変わる
それは一頭のサラブレッドの綴る
わたしたち自身の
歴史なのだから
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