盛り蕎麦と言えぬか小童が
貧乏人乙w
いや恥ずかしいのはお前らだからw
盛りはざるの下位互換なんでしゅよプププwwwwwww
お蕎麦屋さんのメニューで「もりそば」や「ざるそば」というメニューがありますが、
この違いは ただ海苔がかけられているのが「ざるそば」と思っている方が多いと思います。しかし正確に 言うと違いがあります。
まず「もりそば」ですが、江戸時代の元禄の頃から「ぶっかけそば」というのが流行っていました。
つまり汁が かかっている「かけそば」みたいなものです。その為それと区別する必要があり、汁につけて食べるそばを 「もり」と
呼ぶようになりました。そばを高く盛ることから「もりそば」と言われたそうです。
盛り付ける器が「せいろ」などは「せいろそば」と呼ばれたこともあったそうです。
一方「ざるそば」は、江戸中期に江戸(東京)深川洲崎にあった「伊勢屋」というお蕎麦屋さんで、
そばを竹ざるに盛って出されたのが始まりのようです。
明治になって、「ざるそば」に海苔がかけられるようになったそうです。こ
のときは「ざる汁」 という、「もりそば」で使われている汁とは違ったようですが、
今では「ざるそば」専用の「ざる汁」 を作るお店は少ないようです。
ざるは竹で編んだ笊をそばを盛る食器に転用したもの。
せいろは蒸し物料理に使う蒸籠(せいろう)をそばを盛る器に転用したものです。
「せいろう」の う が省略されて「せいろ」になりました。蒸籠にそばを盛るというアイデアは、
そばを蒸すという調理法が江戸初期にあったので、ごく自然に生じたものと思われます。
このころは竹ざるにそばを盛りつけただけで、海苔はかかっていません
これが評判になって江戸の町中に「ざる」をまねをする店が増えていきます。
しかし、竹ざるにはそばを盛った状態で重ねて運ぶことができないという欠点がありました
出前の多いそば屋にとっては大問題です。
そこで、「ざる」も「ざる」の名称のまま重ねて運ぶことのできる蒸籠を使うようになります。
さぁて、このあたりからややこしくなってきましたね。
では、なぜ蒸籠を使っているのに「ざる」と言い続けたのか。
1つに「ざる」という名称がお客に定着したので変えられなかったのではないでしょうか。
「ざるの出前を願いします。」と注文がきたときに、「ざるじゃありません。蒸籠に変えたのでせいろです」とは言いにくいですよね。
もう1つの理由に、「差別化」というマーケティング戦略があったのではないかと私は考えています。「差別化」というのは、他店との違いをお客にアピールする商売のやりかたです。
つまり、「ウチのそばは、ヨソ様のもりなんていう安物とはぜんぜん違います。高級な ざる なんですよ。」と言いたいがために
「ざる」と言ったのではないかと。そのあたり、現代の手打ちそば屋が、竹ざるに盛っているのに「せいろ」と言っているのに似ています。
では、「ざる」の何が高級だったのでしょうか。
『蕎麦の事典』(新島繁)によると、ざる汁はもり汁に御膳かえしを加えてつくるとあります。
御膳かえしとは、ふつうのかえしに同量のみりんを混ぜたものです。
つまり、ざる汁というのは普通のそばつゆより、高価なみりんを贅沢に使った甘くて濃厚味だったようです。
いまではこういうざるそば専用のざる汁を作る店はほとんどなくなりましたが。
いまでもちょっぴり海苔をのせただけでざるが100円も高いのは、もともと「ざる」のほうが高級だったなごりです。
では、なぜスペシャルな濃厚ざる汁が廃れたのか。
時代がくだりると、もりだけだった大衆店でも「もり」と「ざる」の両方をあつかうのが普通になります。
たぶん注文間違いを防ぐためだと思いますが、見た目で区別しやすいようにそばに海苔をかけるようになります。
この海苔が原因ではないかと思っています。
実験してみたのですが、そばに海苔をかけた場合、海藻である海苔にすでに塩分が含まれているのと、
海苔がつゆを吸収することで濃いざる汁では味が濃くなりすぎるのです。
さてこうして、蒸籠に盛り付けて、海苔をかけて、つゆも特に濃いわけではない、という近代的なざるそばが文明開化の波に乗り
全国に広まりました。
↑要は蕎麦をすする時に邪魔になる海苔を有り難がって喜んでいる
昔の情弱が好んでいたのが「ざる」
「器が違うだけでバカじゃねーのw 大体、海苔なんて蕎麦の本来的な香りや喉越しを邪魔する」と嫌っていた
情強が食していたのが「もり」
50円増しぐらいになってる店があって、何だかな~って思った
店「カレー南蛮とカツ丼の大盛りですね?」
見たいな
シゲルザルウドン
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